「日本人らしさって何?」
長い歴史の中で独自の文化を形成し成長してきた国には、自国文化に適応すべく育んできた「国民性」というものが現れます。
では日本に於ける国民性、「日本人らしさ」とはどのようなものなのでしょうか?
情報化社会でグローバルな考え方が広がっているこの時代、日本に住んでいても自身の国の独自性を知る機会は少ないのかもしれませんね。
では今より情報伝達の難しかった時代、日本人は日本の文化や国民性をどのように理解し共有していったのでしょうか。
様々な手段があったと思われますがその中の一つ、「百人一首」について話をしたいと思います。
今も親しまれる「百人一首」のカルタは読み札に書かれた歌を読んで、「取り札」を取り合うゲームとして貴族や武士、一般の庶民にまで親しまれてきました。
取り札を多く取るには歌を沢山覚えている方が有利なゲームです。
子ども達はゲームに勝つために「百人一首」の『言葉』を覚え、成長してからは歌の『意味』に触れる事で道徳観を育んでいったとされています。
では歌の『意味』が「日本人らしさ」にどうつながっていくのでしょうか?
日本の文化は「察する」文化と言われています。
「百人一首」に選ばれた和歌はどれも「一番大事な事」を隠しており、歌の真意を察する事は「功過を明らかに察する」能力へと繋がります。
聖徳太子の十七条憲法第11条の「明察功過」を平安貴族は政治理念として施政に育んでいたそうです。
和歌を多く詠み、また他の人の和歌を読む事で「察する」能力を高める努力をしてきたとされています。
ちなみに古語の授業などで教わる和歌の現代語訳は試験では正解でも、歌の真意とはまた異なるそうです。
「百人一首」七十七番歌として親しまれ、当神社にも所縁のある「崇徳天皇」こと崇徳院の和歌を参考にさせていただきます。
『~ 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ ~』
現代語訳すると、
『川瀬の流れが速い為に岩に堰き止められた急流が2つに分かれても再び1つになるように、別れたあの人ともいつかまた逢いたいと思います。』
という意味になり、別れた男女の再開を願う恋愛を詠んだ歌だと考えられます。
しかし、
・この歌には元歌があり、政治的争いを彷彿させる。
・歌が藤原忠通(崇徳天皇を讃岐流しとした)の次に配列されている。
・政治的対立により、実弟の後白河天皇と離れ離れになった後に詠まれた歌。
以上の点を踏まえてみると意味合いは大きく変わり、
「実の弟とは政争により道が分かれてしまったが、今は無理でもいつか再会したい」という歌の真意となるそうです。
恥ずかしながらここまで書いた内容は、自身の古語の勉強にと読んだ本からの受け売りに所感を加えたものです。
読んでる本には「和歌は千年前の人々の心と、現在の私達の心を繋げるもの」という素敵な表現も一緒に書かれていました、ロマンがありますよね。
「日本人らしさ」というのは人の主観によって変わるものだと思いますが、私自身の答えを見つける為にも先人から学べる機会は大切にしていきたいと考えております。
「百人一首」については自身の勉強や振り返りも兼ねて時々触れさせていただきたく思っておりますので、稚拙な文で大変恐れ入りますが何卒これからもお付き合いください。